2011年8月18日木曜日

正力亨と渡辺恒雄

正力亨と渡辺恒雄



正力亨は、読売新聞グループ本社の社主の他、
よみうりランドや日本テレビの取締役、
報知新聞社の社長なども勤めた方です。

一方、渡邉恒雄は、
ナベツネという通称で親しまれている、
読売巨人軍の会長。

1926年(大正15年)5月30日生まれで、
2011年8月現在、85歳になります。

渡邉恒雄は、読売新聞グループ本社の
代表取締役会長でもあります。

渡邉恒雄は、
東京帝国大学(東京大学)文学部哲学科を卒業後、
読売新聞社に入社しました。

そして「週間読売」の記者を経て、
政治部の記者になりました。

渡邉恒雄は、その後、
正力亨の父親である正力正太郎さんに目をつけられ、
自民党の大物である大野伴睦の番記者になり、
政界との強いつながりを持つようになります。

渡邉恒雄は、大野伴睦だけでなく、
児玉誉士夫ともつながりがあり、
九頭竜ダム建設の補償問題や、
韓国交正常化交渉で暗躍したとも言われています。

また、大野伴睦の死後は、中曽根とも親密になり、
数々の政治家との関係を取り持つ役割を果たしました。

ジャーナリストとしての評判も高く、

>
> 戦後に現れた組織ジャーナリストの中でも、
> 彼はテクニックにおいては最高の人でしょう
>

と評されたこともあります。

渡邉恒雄は、
1977年に編集局総務に主任、
さらに1991年に読売新聞社社長に就任しました。

2005年には読売新聞グループ本社に。

渡邉恒雄は、
自民党の党員や元自民党らに多大な影響力を持っているとも言われ、
2007年の自民党・民主党の大連立構想の黒幕であったとの
ウワサもあります。

一方、渡邉恒雄の巨人軍オーナーとしての活躍は、
1989年に巨人軍の最高経営会議のメンバーに
選ばれてからです。

1996年に、巨人軍のオーナーであった正力亨を
名誉オーナーにして、
渡邉恒雄がオーナーに就任しました。

渡邉恒雄自身は、
「野球はやったこともなく興味もなかった」ですが、
巨人の人気や資金力、読売新聞や日本テレビを元にして、
プロ野球界に多大な影響を与えました。

特に、資金力のある球団が優位になるFA制度を
日本のプロ野球に導入する際は、
オーナー会議で他球団の同意を強く求め、
FA制度を導入することを実現させました。

しかし、2004年、一場靖弘を巡る
裏金供与問題の責任を取るため、
巨人軍のオーナーを辞任しましたが、
1年足らずで巨人軍の会長となっています。